縄文の神聖幾何学

「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」に秘められた神聖幾何学の叡智を探る。

『新・ハトホルの書』より聖なる四大元素について(その3)

 前々回「『新・ハトホルの書』より聖なる四大元素について(その2)」を書きましたが、今回はその記事の補足です。

 読者の方から、以下のサイトよりトム・ケニオンの「EL KA LEEM OM(Chant of the Elements)」がダウンロードできることを教わりました。

 早速ダウンロードして聴いてみたところ、これがかなり凄い。そして大変興味深いことに、ライナーノーツによると、ハトホル曰く、これらの音は聖なる四大元素の発する音とほぼ同じものなのだそうです(もっとも、ここで言っているのは人間の可聴範囲外、量子レベルの領域の音ですので、確認するすべはありません)。

 

 音源にあわせて実際に「エール、カー、リーム、オーム」と詠唱しているうちに、ふと、「これは母音ではないか」と思いました。つまり、「え~、あ~、い~、お~」というわけです。もしかすると、母音の響きは文字通り、物質次元の母ともいうべき聖なる四大元素の発する音に由来するのかもしれません。

 

 ところで、縄文文字ヲシテの母音も聖なる五大元素を表します。「エル・カー・リーム・オーム」と縄文文字ヲシテを比較すると下図のようになります。母音と元素の対応関係に違いが見られますが、通底するものがあるように思えます。

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 以前、以下の記事の中で、日本語の母音である「あいうえお」はなぜ「あいうえお」と発音するのかについて書きました。じつは縄文文字ヲシテを見れば、その答えが分かります。口の形を「あ」のヲシテ文字の形のようにして発生すると、「あ」の音になります。「い」「う」「え」「お」も同じです。そのようなことを書いたのですが、母音というものはそれよりもずっと精妙で深いレベルから由来するのかもしれません。

 

 さて、話を戻します。「エル・カー・リーム・オーム」は母音そのものだとすると、「う」がないのはなぜでしょうか? その理由や、そもそも理由があるのかすら私には分かりませんが、ヲシテ文字から考えると、もしかするとこういうことかな、と思えることがあります。
 ヲシテ文字の「う」には、通常文字の「う」とそのほかに特殊文字の「う」があります。後者のほうは宇宙の創造神アメミヲヤの最初のひと息とされており、それがこの宇宙の原初の音で、本当は表現しえない音、音になる前の音なのです。聖なる四大元素に「う」の母音がないのは、こうしたことと関係あるのかもしれません。

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<参考>


文責:与左衛門、協力:角大師

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