縄文の神聖幾何学

「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」に秘められた神聖幾何学の叡智を探る。

もうひとつの国生み神話(2)

 前回の続きです。

 『古事記』と『ホツマツタヱ』における国生み神話の違いについて、今回はその核心に迫っていきたいと思います。

  じつは『古事記』と『ホツマツタヱ』の書き方を比べただけでは、表面的な違いしか分かりません。その違いの深みを理解するためには、『ミカサフミ ワカウタのアヤ』が必須となります。

 以前、『消された女神、ワカヒメの復活』で書いたように、『ワカウタのアヤ』の存在が発見されたのは2012年、ほんの少しばかり前のことです。この『ワカウタのアヤ』の発見なくしては、国生み神話に語られた真の意味を知ることはできません。そう思うと、『ワカウタのアヤ』の発見はまるで奇跡のような出来事です。今、この時代に失われた縄文の叡智を復活させようとする天意を感じずにはおれません。

 さて、それでは具体的に『古事記』と『ホツマツタヱ』の違いを見ていきましょう。

 

1. 天の御柱を回る方向

<1回目>

<2回目>

 

 天の御柱を回る方向について、『古事記』では1回目・2回目とも、イザナギは左回り、イザナミは右回りです。

 一方、『ホツマツタヱ』では1回目、イザナギは右回り、イザナミは左回りです。そして2回目は回り方を改め、イザナギは左回り、イザナミは右回りに巡ります。

 この回る方向は、縄文人の宇宙観を示すフトマニ図の中心に描かれた「アウワ」と関係しています。アウワは宇宙の創造神アメミヲヤの息を表します。「ア」のヲシテ文字は左回りの渦巻きの形をしており、ヲ(男、男性性)のエネルギーとされています。また、「ワ」のヲシテ文字は右回りの渦巻きの形で、メ(女、女性性)のエネルギーとされています。

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フトマニ

 イザナギイザナミはこのアウワの宇宙創造になぞらえて、子を産み、国を生もうとしたのです。したがって、イザナギは「ア」のヲシテ文字を模して左回り、イザナミは「ワ」のヲシテ文字を模して右回りでなければならないのです。ところが、二神は1回目、それに反して回ったために不具の子が生まれてしまい、そこで、2回目は回り方を改めたのです。

 

 余談ですが、以前『ヲシテと古代錬金術』の記事を書きました。錬金術というのは、鉛を黄金に変えるという物質的なことだけでなく、人間の霊性を変容させて神に至らんとすることも錬金術の目的でした。そして、後者の方法のひとつに、性的エネルギーを使うものがあります。例えば古代インドにおけるタントラ・ヨガや古代中国における道教の房中術などがそうです。古代エジプトにもあったようです。同様に、イザナギイザナミによる「みとのまぐわい」もたんなるセックスではなく、自己を宇宙の創造神と同一化する錬金術であったことは明らかです。

 

2. 初めの5文字

<1回目>

<2回目>

 

 二神は別々に分かれて天の御柱をまわり、出逢ったところで言葉を掛け合います。1回目はまず初めに女神のイザナミが言葉を掛け、それに対してイザナギが応えます。そして生まれたのが不具の子です。占いの結果、女が先に言葉を掛けたのがよくなかったと分かり、2回目は男神イザナギが先に言葉を掛け、続いてイザナミが応えます。

 この順序は『古事記』も『ホツマツタヱ』も同じですが、掛けた言葉に違いがあります。

 『古事記』のほうは、上表のとおり、1回目のイザナミイザナギの言葉、2回目のイザナギイザナミの言葉、それらすべてが「あなにやし」です。

 「あなにやし」とは聞きなれない言葉ですが、精選版日本国語大辞典によると、「ああすばらしい」とあります。つまり、「あなにやし、えをとこ」は「ああ、なんてすばらしく愛しい男だこと」といった意味です。

 一方、『ホツマツタヱ』では、1回目、イザナミが「あなにえや」と言い、イザナギが「わなうれし」と応えます。2回目は逆に、イザナギが「あなにえや」と言い、イザナミが「わなにやし」と応えます。

 「あなにえや」も「あなにやし」と同じく「ああすばらしい」といった意味です。「わなうれし」は「ああ嬉しい」の意味です。しかし、それだけではなく、じつは『ホツマツタヱ』のほうには、もうひとつの意味が込められています。

 

(1) 「あ」と「わ」

 まず注目いただきたいのは、一文字目が「あ」なのか「わ」なのかです。たった一文字の違いに思えますが、そこには天と地ほどの違いがあるのです。そして、それを知るには『ミカサフミ ワカウタのアヤ』を読む必要があります。

 『ワカウタのアヤ』に書かれたイザナギの言葉「あなにゑや」の「あ」は、じつは通常のヲシテ文字ではなく、渦巻きの形をした特殊文字なのです。つまり、「アウワ」の「ア」です。そして、「あなにゑや」につづく「うましおとめに」の「う」も通常のヲシテ文字ではなく、「アウワ」の「ウ」と同じ特殊文字です。

 では、それに対するイザナミの言葉「わなにやし」の「ワ」は、「アウワ」の「ワ」と同じ特殊文字かと思いきや、なぜかこれは通常の「ワ」のヲシテ文字です。しかし、これは写本の書き間違いである可能性があります。私は、原文では「アウワ」の「ワ」と同じ特殊文字なのではないかと推測しています。なぜなら、このイザナギの「あなにゑや~」の歌とイザナミの「わなにやし~」の歌は1セットで「あめのあわうた」(天のアワ歌)と呼ばれているからです。(後掲の追記参照)

 

(2) 「あなにゑや」と「わなにやし」

 さて、先ほど、「あなにえや」「あなにやし」は「ああすばらしい」といった意味だが、それだけでなく、『ホツマツタヱ』にはもうひとつの意味が込められていると言いました。

 ヲシテ文献研究の第一人者、池田満先生は『よみがえる縄文時代 イサナギ・イサナミのこころ』の中で、ヲシテ文字で書かれた「あなにゑや」の5文字と「わなにやし」の5文字、その一文字一文字がもつ意味から、つぎのように解説されています。

「アナニヱヤ」
「ア(宇宙の中心からのもたらし)」の「ナ(成る働き)」に「ヱ(跳ね返って及ぼす)」の「ヤ(跳ね返って茫洋としている)」の意味

 

「ワナニヤシ」
「ワ(地表上現実的な)」の「ナ(成る働き)」に「ヤ(まとめて返す)」の「シ(為しゆき)」の意味

 

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あめのあわうた

 上記の解説を読むと、何かフワフワしていて、分かったような分からないような感じがすると思います。これは、言葉には一文字一文字に意味があり、かつ、ひとつの単語としての意味がある、という「言霊」的な解説ですので、古代人になりきって、左脳ではなく、右脳を使ってイメージとして捉える必要があります。

 『ワカウタのアヤ』では、この後、天地創成の話が出てきます。そこには、何もない「無」の状態から、あるとき渦巻のかたちをした「ア」のヲシテ文字、すなわち宇宙を生み出す螺旋エネルギーが立ち上り、軽いものと重いものに分かれ、やがて天(ア)となり地(ワ)となった、といったことが書かれています。

 「あなにゑや」と「わなにやし」はそのことに対応した言葉で、イザナギイザナミはこの天地創成になぞらえて、子を産み、国を生もうとしたのです。

 先ほども述べましたが、「ア」のヲシテ文字はヲ(男、男性性)のエネルギーです。また、「ワ」のヲシテ文字はメ(女、女性性)のエネルギーです。したがって、男神イザナギは「ア」から始まる「あなにゑや」、女神のイザナミは「ワ」から始まる「わなにやし」でなければならないのです。ところが、二神は1回目、それに反した言葉を掛けたため、不具の子が生まれてしまったのです。

 

 ちなみに、「あなにやし」はヘブライ語の「アニーアシー」だという説があります。「アニーアシー」は「私は結婚します」という意味だそうです。古代ユダヤと古代日本のつながりを考えると、確かにそうなのかもしれません。

 これについて、協力者の角大師さんが面白い指摘をしています。ヘブライ語の「アニーアシー」が「あなにやし」になったのではなく、反対に、イザナギイザナミのプロポーズの言葉である「あなにゑや」「わなにやし」がヘブライ語の「アニーアシー」になった可能性もあるのでは、とのことです。私もその可能性は大いにあると思います。

 

(次回に続く)

 

<2022.9.19追記>

 改めて考えてみて、イザナミの言葉「わなにやし」の「わ」は、通常の「わ」のヲシテ文字で正しいのだと思い至りました。イザナギの言葉「あなにゑや」の「あ」が特殊文字を使っているのは、それが非物質次元を意味しており、一方、「わなにやし」の「わ」が通常のヲシテ文字を使っているのは、物質次元を意味しています。つまり、文字によって目に見えない世界と目に見える世界を明確に使い分けているのです。

 

文責:与左衛門、共同研究者:角大師

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