縄文の神聖幾何学

「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」に秘められた神聖幾何学の叡智を探る。

アワ歌とハタノミチ(機の道)

1    心と体と魂を調えるアワ歌

アカハナマ イキヒニミウ
フヌムエケ ヘネメオコホノ
モトロソヨ ヲテレセヱツル
スユンチリ シヰタラサヤワ

 これはアワ歌と呼ばれるもので、いろは歌のように、ヲシテ48文字をすべて1度ずつ用いてつくられた五七調の歌です。天を意味する「ア」から始まり、地を意味する「ワ」で終わるので、「アワ歌」と言います。作者はイサナギとイサナミです。

 

アワノウタ   アワの歌
カダガキウチテ カダガキ(葛掻き)打ちて
ヒキウタフ   弾き歌ふ
オノツトコヱモ おのずと声も
アキラカニ   明らかに
イクラムワタヲ 五クラ、六ワタ、ヲ(魂の緒)
ネコヱワケ   根(音)声分け
フソヨニカヨヒ 二十四に通ひ
ヨソヤコヱ   四十八声
コレミノウチノ これ身の内の
メクリヨク   巡りよく
ヤマヒアラネハ 病あらねば
ナカラエリ   長らえり
ホツマツタヱ1アヤ」より

 イサナギ・イサナミはカダガキ(葛掻き)という三弦琴を弾きながら、各地の民たちにアワ歌を歌い教えました。すると、自ずと声も明るくなって、心と体と魂にアワ歌四十八音の響きが通い、身の内の巡りがよくなり、病になることもなく長生きするのだ、と書かれています。

 「ヰクラムワタ」を「五臓六腑」と訳される方がいらっしゃいますが、ホツマツタヱ研究家の池田満先生によると、「ヰクラ」を「五臓」とするのは間違いだということです。

 ムワタとは、フクシ/ナカゴ/キモ/ヨコシ/ムラト/ワタの6つの内臓ですが、一方、ヰクラのほうは、ココロバ(良心・真心)/ミヤビ(他人を思いやる心・哀れを知る心・情けを思う心・記憶)/タマ(人の意識そのもの)/シヰ(生命維持の欲求)/シム(外に及ぼす欲求)の5つで、大雑把に言うと「こころ」にあたるもの、とのことです。

 じつは、このことがとても重要なのです。もし「ヰクラムワタ」を五臓六腑だとするならば、アワ歌を歌うことで、たしかに五臓六腑は調えられるでしょう。

 しかし、上記のとおり、アワ歌は心と体と魂を調える歌。文献を丹念に読むと、じつは、たんに歌うだけでは不十分だということが分かります。それは、どういうことなのでしょうか?

2    鶴の羽根

前述の一節の中に、

フソヨニカヨヒ 二十四に通ひ
ヨソヤコヱ   四十八声

とありましたが、それに関係することがホツマツタヱの別のアヤに書かれています。

ヰネナナミチノ 五音七道の
アワウタオ   アワ歌を
カミフソヨコヱ 上二十四声
イサナギト   イサナギ
シモフソヨコヱ 下二十四声
イサナミト   イサナミと
ウタイツラネテ 歌ひ連ねて
ヲシユレハ   教ゆれば
ホツマツタヱ5アヤ」より

 このことから、アワ歌の前半24音を男神イサナギが、後半24音を女神のイサナミが歌ったことが分かります。ホツマツタヱでは、男性性は陽のエネルギー、女性性は陰のエネルギーにあたりますので、この歌い方は男性性と女性性の統合、陰陽の統合という意味を持っています。

 イサナギ・イサナミはアワ歌をどんなメロディーで歌っていたか分かりませんが、もしかすると、前半24音は長調(陽)で、後半24音は短調(陰)のメロディーだったのかもしれませんね。

 さて、また、別のアヤに以下の記述があります。

ヒタカミニツル ヒタカミに鶴
タテマツル   奉る
ハネサキミレハ 羽根裂き見れば
フソヨナリ   二十四なり
カレモロハネヲ かれ諸羽根を
ヨリタゝシ   撚りただし
ヲツルヲタテニ 雄鶴(の羽根を撚った糸)を縦(糸)に
メヲヨコニ   雌(鶴の羽根を撚った糸)を横(糸)に
ケフノホソヌノ ケフの細布
オリモツテ   織りもって
ヨソヤソナハル 四十八備わる
ミハラオビ   御腹帯
ホツマツタヱ16アヤ」より

 「ヒタカミ(日高見国)に鶴が献上されたので、その羽根を裂いて見ると24筋ある。この数は特別なもので、普通の鳥の羽根はそうではない。そこで、雄鶴の羽根を撚った糸をタテ糸とし、雌鶴の羽根を撚った糸をヨコ糸としてケフ(羽毛?)の細布を織り、四十八の神々が備わる腹帯とした。」

とのことです。この腹帯は、イサナミがお腹の中にアマテルを宿しているときに身に着けたもので、腹帯に備わったアワ歌四十八音の神々がアマテルを魔物から守ってくれる、というものです。

 イサナギとイサナミが歌い連ねるアワ歌の「フソヨ(二十四)に通ひ、ヨソヤ(四十八)声」も、これと同じです。男神イサナギの前半24音は雄鶴の羽根のタテ糸、女神イサナミの後半24音は雌鶴の羽根のヨコ糸にあたり、歌い連ねるアワ歌48音にはヨソヤ(四十八)の神々が宿るという、最強のパワーソングなのです。

3    ハタノミチ(機の道)

 ホツマツタヱと同じヲシテ文字で書かれた「ミカサフミ」に、以下のような一節があります。

アワトニシレル アワトに知れる
ヒトノミノ   ひとの身の
ヨツオツツシム 四つを慎む
ハタノミチ   機の道
ミカサフミ1アヤ」より

 「アワト」の「ア」は天、「ワ」は地、「ト」は人、つまり、天地人のことです。また、「四つ」は東西南北を指します。

 「ヒトという存在は、南北のタテ糸と東西のヨコ糸、さらには天地を結ぶ糸が織りなす壮大な織物の一部だ。ヒトはタテ糸とヨコ糸が交差する1点に過ぎない」というのが、ミカサフミが教える宇宙観、哲学です。

 また、それだけでなく、今に生きる自分という存在を、「自分を産んだ両親、そのまた両親、そのまた両親と、ずっと先祖を辿っていくと、ことごとく天地開闢後に生まれた最初の人類であるミナカヌシにつながるのだ」と、じつに壮大な時間軸もまたひと筋の糸として捉えています。すごい哲学ですね。

イマワレウメル 今、我産める
タラチネノ   たらちね(両親)の
サキノミヲヤモ 先の御祖も
コトコトク   ことごとく
アメノタネナリ 天の種なり
ミカサフミ1アヤ」より

 さて、以下、また別のアヤの一節を引用し、まとめとしたいと思います。

アイフヘモ   アイフヘモ
オスシノカミハ ヲスシの神は
キツヲサネ   キツヲサネ
ヰクラムワタオ 五クラ六ワタヲ
トトノエリ   調えり
フトマニ序文「フトマニオノブスヱトシ」より

 「アイフヘモヲスシ」の神とは、アワ歌「カハナマ キヒニミウク ヌムエケ ネメオコホノ トロソヨ テレセヱツル ユンチリ ヰタラサヤワ」のそれぞれの頭の音にあたり、要するに、アワ歌四十八音の響きのことです。

 また、「アイフヘモヲスシ」の神の別の名は「アナミカミ」。宇宙の中心(アモト)から波(ナミ)のように広がる響きの神です。

 つぎに、「キツヲサネ」は、東西南北と中央を意味することばで、「キ」は東、「ツ」は西、「ヲ」は中央、「サ」は南、「ネ」は北です。

 よって、上記の文意は、アイフヘモヲスシの神、すなわちアワ歌四十八音の響きは、東西南北と中央、すなわちこの大地と自分の心・体・魂を調和させる、ということです。

 私たちは、天地および東西南北の糸が織りなす壮大な織物の一部として生きています。というか、生かされています。そのことをよく理解し、体で感じながらアワ歌を響かせること。そうすれば、天地と共鳴して、心と体と魂が調えられるのだ、と。

4    教えの初

 アワ歌のことは「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」ともに1番目のアヤの中で登場します。イサナギ・イサナミの長女ワカヒメは重臣カナサキに養育され、5歳のときにアワ歌を教わります。

 その後、文章は「ワカヒメ聡く、カナサキにキツサネ(東西南北)の名の由来を教えてほしいと請う」と続きます。私はこれまで、なぜアワ歌の話から東西南北の話に突然切り替わるのか不思議に思っていましたが、ワカヒメは幼くしてハタノミチをよく理解していたのでしょう。ほんとうに聡明な方ですね。

 さて、アワ歌もそうですが、なぜキツサネの話が「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」の1番目のアヤに書かれているのでしょうか? その理由は以下のとおりです。

キツノナオ   キツ(東西)の名を
ヲシエノハツト 教えの初と
ナスユエハ   為すゆえは
(中略)
ヒトノミハ   ひとの身は
ヒツキノフユニ 日月のふゆ(恵み)に
ヤシナハワレ  養われ
メグミシラセン 恵み知らせん
ソノタメニ   そのために
イデイルキツオ 出で入るキツ(東西)を
ヲシユナリ   教ゆなり
ミカサフミ1アヤ」より

 

ホネハタノタネ 骨はタ(天、父)の種
シシハラニ   肉はラ(地、母)に
ウマレヒツキノ 生まれ、日月の
ウルホイニ   潤いに
ヒトナリソナフ ひと成り備う
ヨカヒヂノ   ヨカヒヂの
カタオモチイテ 型を用いて
ミオヲサム   身を修む
メグミシタネハ 恵み知らねば
カタチナシ   形なし
ミカサフミ1アヤ」より

 私たちは、太陽と月の恵みに養われて生きている。そのことをよく理解すること。
 それが「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」が真っ先に教えることです。

 宇宙の根源や天地自然とのつながりを見失い、混迷の時代を生きる現代の私たちにとっても、これは大切な教えではないでしょうか。

ヨカヒヂ(ヨカミヒトヂ、四神一締)の型

<追記1>

 共同研究者の角大師さん曰く、「アワ歌はハートの中心から歌うとよい」とガイドから言われた、とのことです。

 前述のとおり、アワ歌の各頭韻にあたる「アイフヘモヲスシ」の神の別の名は「アナミカミ」。宇宙の中心(アモト)から波(ナミ)のように広がる響きの神です。宇宙の中心を、ミクロコスモスであるヒトに当てはめると、それは心臓です。よって、私もハートの中心からアワ歌を歌うのがよいと思っています。

<追記2>

 このブログに「古代インド」のカテゴリを設けているように、この世界は地水火風空の5大元素から成り立っているとする等、古代日本と古代インドでは共通の宇宙観があったと考えています。上記の内容についても古代インドとの共通性がいくつも見られることに気づきましたので、簡単に記載しておきます。

アワ歌とキールタン

 インドのヨガは古代から行われてきたものですが、「ヨガ」という言葉はサンスクリット語で「つながり」を意味し、心と体と魂がつながっている状態を表しています。ヨガにはさまざまな種類がありますが、そのうちのひとつに「歌うヨガ」とも言われる「キールタン」があります。

 「キールタン」は、まず歌い手が短いフレーズを歌い、続いて参加者たちがそれに応えてフレーズを歌うというスタイルです。イサナギ・イサナミもこのようにアワ歌を民に歌い広めていたのかもしれません。

キツサネとインド風水

 ホツマツタヱ1アヤやミカサフミ1アヤのキツサネ(東西南北)の話の中で、家を建てる方角やその際に朝の太陽光を重視していること、また、人と会うときや寝るときの方角などが書かれています。

 古代インドにも俗にインド風水とも言われる「ヴァーストゥ・シャーストラ」という思想・学問があります。私はそれに精通しているわけではありませんが、少し調べたところ、両者の基本的な考え方は驚くほど似ています。

ハタノミチとスートラ、タントラ

 ヨガの教典に「ヨガ・スートラ」というものがあるそうです。このあたりのことについて、私は全くよく知らないのですが、古代インドの教典には「スートラ」と「タントラ」があって、スートラが公(おおやけ)の教えを説く(顕教)のに対し、タントラは秘密の教え(密教)を説くとされているようです。

 おもしろいことに、サンスクリット語でスートラは糸を意味し、タントラは織機(はた)、縦糸、連続などを意味するそうです。また、スートラをタテ糸、タントラをヨコ糸として対比することも多いようです。ハタノミチとの関連がありそうですね。

 

文責:与左衛門、協力:角大師
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