古事記とホツマツタヱで天岩戸神話を読み比べてみると、①スサノオが乱暴狼藉をはたらく→②アマテラスが岩室に籠り、世界は闇に覆われる→③オモイカネが一計を案じて、諸神と岩室の前で賑やかに歌い踊る→④アマテラスが岩室から出て、再び世界に光が戻る、という大筋は同じですが、細部では幾つも異なる点があります。
中でも私たちが注目するのは、真榊(マサカキ)です。古事記における真榊は、アマテラスよりも貴い神だと偽るものとして描かれています。しかし、ホツマツタヱでは、そのような描写はありません。では、ホツマツタヱにおける真榊は何を意味するのでしょうか。
それと、古事記にはなく、ホツマツタヱにのみ描かれているもう一つの木があります。それは何を意味するのでしょうか。
私たちはそこに、ある重要な秘密が隠されていると考えています。以下、順を追って説明します。
1. 神話の概要
ホツマツタヱ7アヤの中ほどに、いわゆる天岩戸神話が記されています。以下はその概要です。また、ご参考までに、古事記とホツマツタヱの天岩戸神話の比較を以下のリンク先に載せていますので、詳しくはそちらをご覧ください。
アマテル君への対抗勢力の旗頭に担がれたソサノヲは、田んぼの苗代に再び種を撒いて稲の成長を妨げたり、畦を壊したりと乱暴狼藉をはたらき、稲が実らない事態となってしまいました。また、新嘗祭でアマテルの着る衣を織る殿が汚されるに及び、アマテルはソサノヲを叱責し、殿を閉ざして立ち入りを禁じました。すると、ソサノヲはさらに怒り、殿の屋根に穴を穿って、斑馬を投げ入れました。中にいたアマテルの妃の一人、ハナコは驚いた拍子に機織りの杼が体に刺さって亡くなってしまいました。
このソサノヲのしわざにアマテルは怒り、「民を治める君というものは、天を巡って地に恵みをもたらす日月のようであってこそ、晴れて明るい民の親といえるのだ。お前のように汚いやり方で国を望む者は、民の上に立つ資格などない。」と宣告しました。ソサノヲはその言葉にますます逆上して、岩を蹴散らし暴れます。アマテルは身の危険を感じて岩室に入って岩戸を閉ざし、世界は闇に覆われてしまいました。
ヤス川(滋賀県・野洲川)にいたオモイカネは、世界が真っ暗になったことに驚いて、松明を手にアマテルのいるイサワの宮(三重県・伊勢)に駆けつけ、子のタチカラヲに状況を聞き、タカマ(朝廷)の諸神を招集して、アマテルのお出ましを祈ることとなりました。
まず、ツハモノヌシが真榊の上の枝に瓊玉(ニタマ)、真ん中の枝に真経津の鏡(マフツノカガミ)、下の枝に和幣(ニギテ)を掛けました。つぎに、ウズメ等がヒガゲノカズラを襷にし、茅を巻いた矛を持ち、また、朮(オケラ)を火にくべ、沸騰した湯を笹の葉で振り撒いて場を清め、篝火を焚いて神楽の準備を調えました。そして、オモイカネは熟慮のうえ、トコヨの踊り「ナガサキ」の演目を俳優に歌わせました。諸神も岩戸の前でかしましく、にぎやかに踊りました。
岩室の中のアマテルは、「ああ、これはトコヨの踊り、ナガサキだ」と微笑み、岩戸を少し開けて外の様子を覗いました。すかさずタチカラヲがアマテルの御手を取って岩室からお出ましいただき、ツハモノヌシが岩室にしめ縄を張って、「もうお帰りにならないでください」と言いました。
2. 真榊
真榊について、上の枝に玉、真ん中の枝に鏡、下の枝に和幣を掛けることは、古事記もホツマツタヱも共通しています。
その後、古事記では、アマテラスが岩戸を少し開けて顔を出し、「私が岩室に籠って世界は闇に覆われているはずなのに、なぜお前たちは楽しそうに歌い踊っているのか?」と問うと、神々は真榊に掛かった鏡を差し出して、「ほら、ここにあなた様よりも貴い神がいらっしゃったので、皆で歌い踊って喜んでいるのです。」と答えます。
一方、ホツマツタヱにはこうした記載はなく、たんに、真榊の上の枝に玉、真ん中の枝に鏡、下の枝に和幣を掛けて祈る準備をした、と書かれているだけです。
では、ホツマツタヱにおける真榊は一体何を意味するのでしょうか?
素直に考えれば、玉・鏡・和幣を身につけたアマテルの姿を模したもの、といえるかと思います。
しかし、もう一歩踏み込んで考えてみると、私たちは、真榊とは「ミハシラ(御柱)」の象徴だと思います。ホツマツタヱの天地開闢神話では、創造神アメミヲヤの「ウイノヒトイキ(初の一息)」がミハシラとなって、その周りを陰と陽のエネルギーがぐるぐる巡り、そこから宇宙が形成されていきました。
その天地開闢を図にしたものが、いわゆるフトマニ図です。フトマニ図の中心には「アウワ」の3文字が描かれており、「ウ」はアメミヲヤのウイノヒトイキ、「ア」は陽のエネルギー、「ワ」は陰のエネルギーを意味します。真榊の枝に掛けられた玉、鏡、和幣(の結び目)は、このアウワを象徴していると思います。
3. カグの木
ホツマツタヱでは、アマテルの籠る岩室の前で、オモイカネはトコヨの踊り「ナガサキ」の演目を俳優に歌わせます。一方、古事記にこのシーンはありません。
カグノキ カグの木
カレテモニホユ 枯れても匂ゆ
シホレテモヨヤ 萎れても良や
アガツマ アワ 吾が妻 あわ
アガツマアワヤ 吾が妻あわや
シホレテモヨヤ 萎れても良や
アガツマ アワ 吾が妻 あわ
カグの木とは橘のことです。実や花が香しいから“カグ”の木です。ホツマツタヱでは、カグの木は初代アマカミ(古代の天皇の称号)・クニトコタチの建国したトコヨクニのシンボルです。
その実はまるで太陽のようです。そして、たくさんの実をつけます(多産・繁栄)。さらには、常緑樹のため冬でも落葉しません(永遠の命)。太陽と大地の恵みを存分に受けて育った光輝あふれる生命エネルギーを感じさせます。そんなことから、トコヨクニのシンボルとされたのでしょう。
オモイカネは、アマテルが理想としていたクニトコタチのトコヨクニと、そのシンボルであるカグの木に亡くなったアマテルの妃ハナコを重ね合わせて、アマテルの悲しみを慰めるために「ナガサキ」の演目を選定したのでした。ナガサキは、永遠に咲く「長咲」であり、永遠の幸せを願う「長幸」であり、また、あなたの幸せを願う「汝が幸」でもあります。
4. 岩戸開きの秘法
先ほど、真榊はアマテルの姿を模したものであり、また、天地開闢のミハシラを象徴したものであること、そして、玉・鏡・和幣(の結び目)は宇宙の中心アウワを象徴したものであることを述べました。
さて、天岩戸のシーンを思い浮かべてみましょう。暗闇の中に榊が立っているところをイメージしてみてください。榊はアマテルを表しています。身につけた玉・鏡・和幣(の結び目)はアウワ、すなわち宇宙の中心とつながっています。
そして、俳優が歌います。カグの木。その太陽のような光輝あふれる生命エネルギーが、アマテルの体内に満ちていく様子をイメージしてみてください。
いかがでしょうか。
私たちが思うに、真榊の柱は、ヨガでいうところの、背骨の中を通るスシュムナー管、玉・鏡・和幣(の結び目)はチャクラ、カグの木はプラーナ(生命エネルギー)の隠喩ではないでしょうか。
古代から世界中で洞窟に籠って瞑想することが行われていたようです。チベットのボン教では今も暗闇の修行が行われています。日本においては、空海が室戸岬の洞窟で修行しているとき、明星が口の中に飛び込んできたという神秘体験の話が有名です。また、修験道の開祖、役行者も洞窟で修行していました。
光の一切入らない暗闇で瞑想すると、松果体からDMTという幻覚物質が分泌され、覚醒体験を得られるそうです。天岩戸神話は、この覚醒の技法を密かに伝えるものなのかもしれません。
5. オモイカネの霊宗道
飛鳥時代に聖徳太子によって編纂された「先代旧事本紀大成経」(以下、大成経)という教典があります。大成経では、神道を「宗源道(カンツモトノミチ)」、「斎元道(カンツイミノミチ)」、「霊宗道(カンツムネノミチ)」の三部に分けて説いており、宗源道はアマノコヤネ(中臣氏・藤原氏の祖神)、斎元道はフトダマ(忌部氏の祖神)、霊宗道はオモイカネ(阿智氏の祖神)を元祖とすると記されています。
この三神のうち、ホツマツタヱの天岩戸神話で登場するのはオモイカネだけですが、古事記の天岩戸神話では三神とも登場し、その際の活躍が宗源道・斎元道・霊宗道の起源となっています。
中でも私たちが注目するのは、岩戸開きの第一の功労者、オモイカネが伝えた霊宗道です。霊宗道について、大成経の「巻第七 天神本紀 下」につぎのように書かれています。
汝命一心而一時明慮八方之事一功明通八方之事更無所不至
一部補足して読み下すと、「(タカミムスビがオモイカネに対して)汝ミコトは心を一つに定めよ。しかして一つに定まる時、思い通り八方のこと一切を明らかにして、八方のことに通い、更に至らざるところ無し」といったところです。
また、江戸時代中期の臨済宗の僧侶、東嶺円慈は『吾道宮縁由』の中で霊宗道のことを、「この霊宗は心学にして、天照大神の教え、神道修行のことを司り、凡夫を導きて神仙に成らしむるの道なり」と説明しています。
私たちは、オモイカネが霊性を覚醒させる方法を知っていたと思いますが、大成経には霊宗道の具体的な修行方法までは記載されていないので、確かめるすべはありません。
6. 伯家神道
オモイカネを祖神とする阿智氏は大和政権から遠い信濃を本拠としたこともあり、その後、衰退したようです。しかし、阿智氏の伝える霊宗道は、大成経の編纂により天皇家で継承され、その後、伯家神道に引き継がれた可能性があります。
伯家神道は、花山天皇の子孫で神祇伯を世襲した白川家によって受け継がれた神道で、天皇家が代々行ってきた皇室祭祀を司ってきました。ひとことで言うと、天皇家のための神道が伯家神道です。
伯家神道の技法を現代に伝える書『神籬奉斎行事 天津微手振 天津息吹』(鬼倉足日公著、八幡書店発行)に興味深い絵が載っています。そこには、ヨガでいうスシュムナー管やチャクラのような絵が描かれています。
また、本文につぎのような説明が書かれています。
我が惟神(かんながら)の行事は、凡べて天の岩戸開きに採り、それに神習ふたものである。神言と謂ひ、息吹と謂ひ、雄叫ひと謂ひ、振魂と謂ひ、神楽、長鳴、御手振、悉く岩戸開きの行事に神習ひ、是れを神現(うつ)しに現したものと、古伝は信じ、古伝は伝へ、古伝は説いてゐる。
つまり、息吹(呼吸法)や振魂(鎮魂法)は天岩戸開きに倣ったもので、それをそっくりそのまま伝えてきたものだということです。これが正しいとすれば、やはり天岩戸神話の当時から、スシュムナー管やチャクラの覚醒方法を知っていたことになります。
(注)阿智氏の伝える霊宗道は、上記のほか、オモイカネの長男タチカラヲが戸隠へ、三男シタハルが秩父へ移ったため、戸隠修験や秩父修験に痕跡を残しているかもしれません。
<追記>
オモイカネの霊宗道を知るために「先代旧事本紀大成経」七十二巻本を調べる必要がありました。しかし、それは江戸時代に禁書とされ回収処分を受けたため、流通していないことを知りました。昭和の時代に宮東斎臣という方が日本全国に散らばって残されていた写本を、私財を投げ打って収集して校訂し自費出版されましたが、部数は少なく、宮東氏の眼鏡にかなう一部の人にしか販売されなかったようです。
これは調べようがないなと諦めていたのですが、ある小さな奇跡が起きて、その本と出会うことが出来ました。
昨夏、私と相方が和歌山の友人を訪ねた際、六本樹の丘というところに連れて行ってくれました。そこは日本で初めて橘を移植されたといわれる場所で、私たちがカグの木に興味をもっていたためです。そして、ついでにその横にある福勝寺というお寺にも立ち寄って、ご住職と少しお話しさせていただきました。話題は修験道の話になり、ちょうどその日の午後、大峯山で修行を終えた秩父の修験者がそのお寺に来られるとのことでした。そのとき、私の相方が「以前、秩父曼荼羅小屋という秩父修験のホームページを見たことがある」といい、午後に来られる方はまさしくそこの堂主様とのことでした。不思議なご縁を感じて、後日、私たちが秩父曼荼羅小屋を訪ねたところ、なんと驚いたことに、2階の書棚に「先代旧事本紀大成経」七十二巻本があったのです!
秩父曼荼羅小屋の堂主様、また、ご縁を繋いでくださった皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
文責:与左衛門、共同研究者:角大師
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