縄文の神聖幾何学

「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」に秘められた神聖幾何学の叡智を探る。

天地(あめつち)開けしときの歌

 『日本書紀』、『ホツマツタヱ』、古代インドの『リグ・ヴェーダ』における天地開闢(かいびゃく)の神話を比較してみて、あらためて『ホツマツタヱ』は素晴らしいと思い至りました。そして、現代科学における見解を知るにつけ、たんなる神話として片付けることなど出来ないことも。

1.    日本書紀

 『日本書紀』の冒頭は天地開闢から始まります。

古天地未剖 陰陽不分 渾沌如鷄子 溟涬而含牙。

及其清陽者薄靡而爲天 重濁者淹滯而爲地 精妙之合搏易 重濁之凝竭難。

故天先成而地後定。然後神聖生其中焉。

 訓読みにすると、以下のとおりです。

 古(いにしえ)に天地(あめつち)いまだ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れざりしとき、渾沌(まろか)れたること鶏子(とりのこ)の如く、溟涬(ほのか)にして牙(きざし)を含めり。

 それに及びて清く陽(あきらか)なるもの、たなびきて天(あめ)となり、重くにごれるもの、淹滞(つづ)いて地(つち)となるに及びて、精(くわし)妙(たえ)なるが合えるは搏(浮かれ)易く、重く濁れるは凝りかたまり難し。

 故(かれ)、天(あめ)まず成りて、地(つち)後に定まる。然(しか)して後に、神聖(かみ)その中に生(あ)れます。

2.    ホツマツタヱ

 『ホツマツタヱ』は全部で40アヤ(章)から成りますが、そのうち天地開闢の話は2、14、15、16、18、19の各アヤの中でそれぞれのテーマに沿ったかたちで語られます。また、『ホツマツタヱ』と同じく、ヲシテ文字で書かれた『ミカサフミ』のタカマナルアヤにも天地開闢が語られています。

 何度も繰り返し語られるのは、それだけ大切な教えだということです。それぞれのアヤを読むと、それはたんなる遥か昔の神話ではなく、むしろ、日々の暮らしや生き方において学ぶべき宇宙の根本法則として語られています。

 以下、その内容です。ただし、各アヤごとに言い回しが多少異なっているため、私のほうでそれらを網羅的に編集したものである点、ご留意願えればと思います。

アメミヲヤ  (天御祖(創造主))
アメツチイマタ(天地いまだ)
ワカサルニ  (分かざるに)
ウイノヒトイキ(初のひと息)
マトカニテ  (円にて)
ミツニアフラノ(水に油の)
ウカムサマ  (浮かむ様)

ウツホニメクリ(ウツホ(空)に巡り)
アワウビノ  (アワ・ウビ(混沌)の)
メグレルナカノ(巡れる中の)
ミハシラニ  (御柱に)
サケテメヲナル(割けて陰陽なる)

ヲハキヨク  (陽は清く)
カロクメクリテ(軽く巡りて)
アメトナリ  (天となり)

メハオモリコル(陰は重り凝る)
クニノタマ  (クニノタマ(地球))

ヲセノムナモト(ヲセ(陽)の宗元)
ヒトマロメ  (日(太陽)と丸め)

イメノミナモト(イメ(陰)の源)
ツキトナル  (月となる)

ヲハミツトナリ(陽は三つとなり)
ヲノウツホ  (陽のウツホ(空))
カセウミカセモ(風生み、風も)
ホトワカレ  (火と分かれ)

ミヅハニトナル(水、埴(土)となる)
メハフタツ  (陰は二つ)

ヰツマシワリテ(五つ交わりて)
ヒトゝナル  (人となる)

アメナカヌシノ(アメナカヌシ(天御中主)の)
カミハコレ  (神はこれ)

 お気づきかもしれませんが、前述の『日本書紀』の一節はこの内容を簡略化したものと思われます。このあたりのことは、ヲシテ文献の第一人者・池田満先生の『ホツマツタヱを読み解く』の中で詳しく比較されていますので、ご興味のある方はお読みください。

3.    リグ・ヴェーダ

 『リグ・ヴェーダ』は、古代インドの聖典であるヴェーダの1つです。サンスクリットの古形にあたるヴェーダ語で書かれており、1,028篇の讃歌から成ります。

 その中に『宇宙開闢の歌』があります。以下は、辻直四郎氏訳『リグ・ヴェーダ賛歌』(岩波文庫)からの引用です。

そのとき(太初において)、
無もなかりき、有もなかりき。
空界もなかりき、その上の天もなかりき。

何ものか発動せし、
いずこに、誰の庇護の下に。

深くして測るべからざる
水は存在せりや。

そのとき、
死もなかりき、不死もなかりき。

昼と夜との
標識(日月・星辰)もなかりき。

かの唯一物(中性の根本原理)は、
自力により風なく呼吸せり(存在の徴候)。

これよりほかに
何ものも存在せざりき。

太初において、
暗黒は暗黒に蔽われたりき。

この一辺は標識なき水波なりき。

空虚に蔽われ
発現しつつあるもの、
かの唯一物は、
熱の力により出生せり(生命の開始)。

最初に意欲は
かの唯一物に現ぜり。

この意(思考力)は
第一の種子なりき。

詩人ら(霊感ある聖仙たち)は
熟慮して心に求め、
有の親縁(起源)を無に発見せり。

彼ら(詩人たち)の縄尺は
横に張られたり。

下方はありしや、上方はありしや。

射精者(動的男性力)ありき、
能力(受動的女性力)ありき。

自存力(本能、女性力)は下に、
許容力(男性力)は上に。

誰か正しく知る者ぞ、
誰かここに宣言しうる者ぞ。

この創造(現象界の出現)は
いずこより生じ、
いずこより〔来たれる〕。

神々はこの〔世界の〕創造より後なり。

しからば誰か〔創造の〕
いずこより起こりしかを知る者ぞ。

この創造はいずこより起こりしや。

そは〔誰によりて〕
実行せられたりや、
あるいはまたしからざりや、
―――最高天にありて
この〔世界を〕監視する者のみ
実にこれを知る。

あるいは彼もまた知らず。

 私は、古代インドと古代日本は共通の宇宙観を持っていたと考えています。上記の内容は高尚で格調高く難しそうですが、よく読めば『ホツマツタヱ』の天地開闢神話とほぼ同じだと分かります。

 辻直四郎氏は同書の解説文の中で、この宇宙開闢の歌を「リグ・ヴェーダの哲学思想の最高峰を示すもの」と述べていますが、五七調の美しいリズムで綴られた『ホツマツタヱ』の天地開闢神話もそれに劣らず素晴らしいものだと思います。

4.    現代の天地開闢仮説

 最後に、現代科学に基づく天地開闢の動画をご紹介します。この動画を見ると、上記の『ホツマツタヱ』の一節にあるように、天地がいまだ分かざるとき、アメミヲヤの初のひと息によって柱(宇宙ジェット)が立ち、陽の性質をもつ軽いものは巡って天となり、陰の性質をもつ重いものは凝り固まって地球となる様子がよく理解できます。

 『ホツマツタヱ』を偽書と決めつけたり、あるいは天地開闢の話をたんに神話として片付けるのではなく、真っ向から理解しようとするならば、そこから深い叡智を学ぶことができると実感しています。

<追記>

以下は新妻聖子さんの歌『天地(あめつち)の声』です。
この天地を生みだした創造主のこころが伝わるようで、涙が出そうになります。
昨日この歌を初めて聞いて、いっぺんで大好きになりましたので、ご紹介します。

 

文責:与左衛門、共同研究者:角大師

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