縄文の神聖幾何学

「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」に秘められた神聖幾何学の叡智を探る。

タマとシヰとユキキノミチ

 皆さんは魂の存在を信じますか?
 信じている方は、魂をどのように理解されていますか?

 

 ヲシテ文献によると、縄文人は魂を「タマ」と「シヰ」に区別していました。

  タマとは、良心や真心(ココロバ)、他人を思いやる心や哀れを知る心や情けを思う心(ミヤビ)、人の意識そのもの(タマ)といったもので、これらは宇宙の源からもたらされるものです。一方、シヰとは、生命維持の欲求(シヰ)、外に及ぼす欲求(シム)いったもので、これらは地球からもたらされるものです。

 そして、このタマとシヰが「タマノヲ」(玉の緒)によって結ばれることで、人はこの世に生を受けます。

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タマ、シヰ、タマノヲのイメージ

 以前、『アウワとトーラス』の記事で、ヲシテ文献による宇宙創造の原初「アウワ」のことを書きました。「上の如く下も然り」という言葉がありますが、大宇宙の「ア」「ウ」「ワ」のごとく、小宇宙ともいうべき人の「タマ」「シヰ」「タマノヲ」も同じような構造になっているのです。

  人はその一生を終えたとき、タマノヲがほどけて、タマは天に、シヰは地に還ります。そしてまた再びタマとシヰが結びついて人は生まれてくるのですが、ヲシテ文献では、この輪廻転生のことを「ユキキノミチ」(生死往来の道)と呼んでいます。

 

<参考文献>

 『「ホツマツタヱ」を読み解く』池田満著

<追記1>
 縄文人の「タマシヰ」の考え方は、中国の道教でいう「魂魄」と同じです。

中国の道教では、魂と魄(はく)という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)とも言う。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し(魂銷)、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。―ウィキペディア「魂魄」より

<追記2> 

 「タマ」と「シヰ」は、バシャールが言う「ハイヤーマインド」と「フィジカルマインド」にあたるのかもしれません。

  • 「ソウル」には非物質次元の「ハイヤーマインド」と物質次元の「フィジカルマインド」がある。
  • 人間は「肉体の中に魂が入っている」という言い方より、「魂のなかにハイヤーマインドとフィジカルマインドが入っている」と言う方がぴったりくる。

―『BASHAR2017』より

<追記3>

 世界中の先住民族の人々が、重要な儀式の前にはいつでも必ず行うことがあります。それは、まず母なる地球と、その次に父なる天と愛でつながる必要があり、それを通して最終的に大いなるスピリットすなわち神とつながるのです。

 私はドランヴァロ・メルキゼデクの教える、ハートの聖なる空間に入る瞑想を行っています。その際、まず行うことが上記のことです。それをしなければ、ハートの聖なる空間に入れないのだとドランヴァロは言っています。私はなぜそれが必須なのかよく分からなかったのですが、ヲシテ文献を読んで腑に落ちました。それは「タマ」と「シヰ」にとって愛しい故郷とつながる、ということなんですね。

 

文責:与左衛門、協力:角大師

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